公園通り雑記帳

「全員」

   

ここ4-5年息がつまると感じることが多くなりました。SNSの存在です。出来事や感情を共有しようという流れへの参加は、個人的に拒否しています。

先日、舞台をみにいきました。たまたま別件でネットを検索していたところその舞台に関する投稿がありました。会場にいた全員が感動していた、という内容でした。私はその場にいましたが、その「全員」ではありませんでした。投稿した人がそう感じたのだから、何の問題もありません。けれど最近、ネット上で、いつの間に「全員」、「みんな」にされていて、生き苦しいです。

今話題の都知事戦のSNSでも、演説している周辺の群衆を全員支持者であると思っているような単純な投稿があります。その中に、候補者に疑問を持っている人や、反対意見の聴衆もいるとは考えないのでしょうか。それとも、そんなことは承知の上、たとえ政治が舞台であっても、その場の雰囲気を単純に発信するというものがSNSの役割なのでしょうか。

【S】

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